代表からメッセージ

株式会社はまリハ代表取締役の臼居優です。

最後に私がなぜ、訪問看護ステーションはまリハを起業したのかをお伝えしたいと思います。

私が訪問看護ステーションを起業したのは2014年12月のことです。

それまで病院内の理学療法士として急性期、回復期、慢性期の利用者様への対応、訪問看護などを経験し多くの患者さんと接してきました。

その経験を通して、いつしか私は「病院は長くいるべきところではない。どんな人も自分の住み慣れた環境で暮らし人生の最期までその人らしく生き生きと過ごしてほしい……」と強く思うようになりました。

その思いに突き動かされるように病院を退職し、起業しました。

私を起業するほどまでに突き動かしたのは、29歳で急性骨髄性白血病を患った体験が根底にあります。

大学卒業後、不動産会社に就職した私はかねてより抱いていた「介護の現場で働きたい」という思いが募り、3年で会社を辞め理学療法士を目指して専門学校に通い始めました。

老人ホームで介護職としてアルバイトをしながら、4年間通いました。

順調に4年生まで進級し石川県輪島市の病院で病院実習をしている最中のこと。倦怠感や微熱など長引く体調不良に悩まされるようになりました。

最初のうちは「実習で疲れているのかな?」くらいに思っていたもののなかなか改善しないので血液検査を受けることに。

すると、大学病院での精密検査を進められ検査の結果を見た医師から「今すぐ入院する必要がある」と言われました。

入院の理由や病名も告げられずよくわからないまま横浜の実家へ帰ることになったのです。自宅へ帰ると血相を変えた母から

「あなた白血病よ!!」

と告げられました。

そのときの衝撃は忘れられません。「あぁ、私の人生はここで終わってしまうのか……。せっかく自分の夢の為に会社を辞めあともう少しで介護の現場で働けるところだったのに……」。

そう思うと涙が止まりませんでした。
入院してすぐに抗がん剤治療が始まりました。

40度の熱が1週間以上続いたり副作用から胸膜炎になったり、呼吸が苦しくモルヒネを打ってもらってどうにか落ち着くという地獄のように苦しい日々が半年間も続きました。

さらにパニック障害からうつ病も発症し文字通り身も心もボロボロになってしまいました。

体重は10kg以上減り髪のない頭にやせ細った青い顔を鏡で見たときは正直、もう死んでしまいたいとも思いました。

それでも抗がん剤が功を奏し病状は少しずつ改善。
うつ病の治療は続けていましたがなんとか退院までこぎつけました。

家から外に出られない自分に悲観しましたが両親や先輩、友人たちが粘り強く支え続けてくれました。

そのおかげもあって少しずつ外出できるようになった私は、専門学校に復学し翌年、晴れて卒業。理学療法士として病院で働けるところまで回復したのです。

この白血病の闘病経験は、私に大きな学びを与えてくれました。

何より、身をもって患者という立場を体験できたことそして家族や友人が支えてくれることのありがたさや、住み慣れた場所で生活する日常の大切さなどを実感できました。

こうした学びは今の自分を支える糧となっています。

一度きりのこの人生せっかく助けてもらった命に感謝し、一人でも多くの方が命の最期まで生き生きと暮らせるよう支える仕事をしていきたい。

それが、私が訪問看護ステーションを起業する際に心に抱いた願いでした。

社会の高齢化は今後さらに加速していきます。

その中で、少しでも多くの方が最期まで笑顔で過ごせるようその環境づくりに貢献することが自分のお役目だと考えています。

「誰もが住み慣れた場所で自分らしくいきいきと暮らせることを支援する会社」

として共生社会の実現に向けた取り組みをしていきますので、ぜひあなたの力をはまリハに貸して下さい。